『日々樹渉』の変化と人間と偶像

『ジングルベル』の渉について、思ったことを書きます。過去ストのネタバレもします。
(長くなりすぎたので分けた)
勘違いとか勝手な憶測してそうなので、変なとこあったらツッコミしてほしい。あと、唐突にポエムを語るよ。

『child birth』


・英智「近ごろ勘が鈍ってるというか、微妙に調子が悪いみたいだね……渉?」
渉「すべては私の不徳の致すところです、その気になれば歯磨きしながらでも芸の研鑽はできるのに!」
渉の様子がおかしい。波乱の予感…………?
芸の稽古ができていないのは、人間の範疇に留まろうとする渉の意思なのか? それとも、(渉がよくやるみたいにただ誤魔化そうとしてるだけで)本当はメンバーのサポートで気を遣って疲弊しきっているのか?

「己の芸を磨く余裕がありませんので♪」

『ダンスフロア』でも、渉が珍しく疲れて居眠りをしていた。それを桃李にも見られていた。
あのとき、「私が望んでしていることですよ、我らは支えあい愛しあう共同体です」「そのためのユニットでしょう」とハッキリ言っていたので、渉は望んでfineにいて、愛ゆえにメンバーを支えてくれているのは伝わってくるんだけど、どうも……、こわい。
渉、おまえ、死ぬのか…………? 『日々樹渉』という概念がゆらぐようで怯えている。


『baby talk』


第三話、生徒会室にやって来た弓弦と渉のシーン。

・渉「『SS』を目の前に控えた今、彼らはがむしゃらになって突き進む必要があります そう思って私、北斗くんに助言を与えに行ったんです!」
『舞台上で誰かが死んでも、観客にそれを悟らせず最後まで演じきり楽しませるのが役者だ』とね」
渉の目論見どおりに、この言葉でTrickstarは発破をかけられて再び走り出すことができた。でも、渉は北斗くんに逆上されて凹んでいる。「弱ってる私は珍しいですよ!」と言うぐらいだ。【DDD】の頃の渉なら、北斗がどんなに怒ろうとしょんぼりなんてしない気がする。アッハハハ……☆と高らかに笑って去っていきそうじゃない? 

「しくしく」

第四~五話、生徒会室に英智が戻ってくる。


・渉「なぜ生まれて間もない赤ん坊を、地面に叩きつけるような真似をしたんでしょう?」「私には納得できませんよ!」
せっかく桃李が自立性を芽生えさせて考えてきたのに、そして今のfineに不可能なことなんてないはずなのに、英智が企画をボツにしたと聞いて渉はかんかんに「怒って」いる。怒って、説明の続きを聞く前に早合点して英智を非難する。
英智は怒る渉を珍しいと言っている。初めてじゃなさそう。英智の前ではたまに怒るのかな?

渉が怒ること、英智が桃李に厳しく接するというのは、どちらも桃李を想ってしていることだろう。桃李が大切なことが感じられる。
日日日先生の既存ストで似た感じの台詞がある。
「よかったね敬人。君のために、こんなに怒ってくれるお友達がいるんじゃないか……♪」(『喧嘩祭』英智)
「叱るのって、甘やかすより大変なのよね」(『怪盗』嵐)

でもさ~~~、やっぱりおかしくない……!?
……超然としていて、人間たちの悲喜劇を眺める神みたいに楽しんでいたあの渉が、「怒る」……? 好意も敵意も、愛も憎悪もぜんぶ「Amazing!」と笑い飛ばすのが渉じゃなかったの??
こんなの、全然『日々樹渉』らしくない、おかしいよ。
でもきっと、読者にそう感じさせるために、あえてここはこういうふうに描写しているんだと思う。

『surprise party』

第一話、渉がfineのメンバーにクリスマスプレゼントを自慢する。渉が(おそらくご両親から)もらったのは、強化ガラス製の仮面だ。


「強化ガラスの仮面」とは

強化ガラス製の仮面には、何か意味があるのだろうか?
渉のキャラに仮面をつける提案をしたのは日日日先生(『オフィシャルワークス』参照)なので、絶対何らかの意味はあるはずなんだけど、まだハッキリ答えが分からない。

・透けていているので仮面の意味がない、ナンセンスで渉好み
・この時期の渉の「仮面」は透けていて、もう素顔が見えているという暗喩
・『ガラスの仮面』のオマージュである。渉は普通の役者よりも強い「仮面」をかぶっていて、素顔は簡単にはのぞかない

漫画『ガラスの仮面』内での、ガラスの仮面についての台詞はこう。

わたし達はガラスのようにもろくてこわれやすい仮面をかぶって演技しているんだ
どんなにみごとにその役になりきってすばらしい演技をしているつもりでも
どうにかすればすぐにこわれて素顔がのぞく
なんてあぶなっかしいんだろう…
このガラスの仮面をかぶりつづけられるかどうかで役者の才能がきまる…
そんな気がする…
(白泉社文庫第5巻 p.270より ガラスの仮面―Wikipedia

強化ガラスは普通のガラスより強い。けれど壊すことは可能だ。壊れるときは全部一気に粉々になる。渉のつけている仮面も、いつか壊れてしまうのかもしれない。
というか『怪盗』で友也くんの前で涙を見せたから、壊れかけていると思っても良さそうだ。卒業までにぜんぶなくなってしまうかもしれない。

・英智「……幾らぐらいするんだろうね、ピラミッドって?」
渉「冗談ですよね英智、目がマジですけど……?」
ピラミッドをプレゼントしようと言う英智に、渉も真面目に返している。
演劇部や桃李相手ではふざけてボケ役になる渉も、英智のボケ(天然?本気?)の前ではツッコミ役に回ってしまうのかもしれない。


第三話、北斗がやってきて『SS』出場を一旦保留にしてほしいと言いにくる。

・北斗「……どうした部長、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして。そんなに驚くことはないだろう」
北斗の提案に、本当に驚いてる渉。驚きすぎて言葉を無くし、咄嗟に身振りでリアクションもせずに呆然としている。常に見られていることを意識すべし、みたいに言ってるのに。演技らしい演技は、しないんじゃなくてできなくなった?
やっぱり、どうも渉らしくないぞ…………?

お茶をこぼす渉

「日々樹渉」の異変
渉の様子がなんかおかしい。
居眠りして隙を見せるし(ダンスフロア)、芸の稽古はできてないし、しょんぼりしたり怒ったり驚いたりしている。 まるで普通の人間みたいに。渉の「仮面」が取れてきたのだろうか?
私が描く『日々樹渉』像は、不可能など何もない不死身の超人、人類のトップ、めくるめくイリュージョンを次々に見せてくれる奇術師で、仮面をつけてていつだって笑顔…… だ。
それが彼のアイデンティティじゃなかった? 実際これまではそんな姿を見せてくれていた気がするけど。


渉が変わった理由は?
渉が変わった、とすると、その理由は何だろう。いくつか想像してみた。

・仲間や友達に気を許して、素が出せるようになった(これまでのは全部演出で、中には生身の人間がいた)
・他人事のように思っていた人の世に深く関わるようになって、何でも自分のこととして感じられるようになった
・今まで分からなかった、喜怒哀楽とかの感情がようやく芽生えた
・最近は「普通の人間」の演技をしている。『普通のフリ』が上手になってきた
・渉は本当に超人だったが、人の世で生きるために神秘性を自ら手放して『人』になった

怪盗』で、地上から遠ざかろうとしていた渉を、英智がこの世に繋ぎとめたってことが語られてたけど、それは「渉を一般人が理解できる範疇に留める」、「人の枠を超えないようにする」ってことに繋がってると思う。

こういう事態を招いたのが英智のせいみたいに思えるから、渉の『完璧な芸術品』みたいな面を愛するファンが、英智を怨んだりもしそう……? 
でも、渉が今の場所にいるのは渉の意思みたいなので、どうか誰も責めないでほしいな。
高みに行きすぎてみんなに理解されなくなることを、渉は望んではいないからね。

渉も人間である

渉がいつも演劇みたいに、ショウみたいに演出して生きてきたから我々は忘れかけていたけど、渉も人間なのだ。
それを再確認するような台詞もある。

英智「君も人間だ。体力には限界がある、物理法則に支配されたこの世界では永久機関なんて絵空事だよ 身内にまで見栄を張って、演出しながら生きる必要はないからね」
(ダンスフロア スローステップ/エピローグ)
友也「……あんたのこと人間じゃないみたいに思ってた 」
渉「フフフ、私は超人ですからね! 仕方ありませんよ、そういうふうに育ってしまいましたから。後悔もしていません、これでも私は幸せなんですよ?
(怪盗VS探偵団 エピローグ③)


それに、渉に限らず、生き物は変化するものだ。
「絶えず変化しつづけることが生きるということなのです」って、他ならぬ渉自身が言ってた。

『フラワーフェス』より



あんスタ世界は「ファンタジー」ではない
三奇人が怪物のように語られていたりしたから、最初は私もあんスタの世界観は「ファンタジー」に分類されるんだと思っていた。漫画やゲームではよくあること。
でも、どうやら違うようだ。
あんスタの中の住人は、我々の住む現実世界と同じような物理法則に支配されているらしい。


今までよく分からなかった部分の種明かしみたいなのが、最近ときどき描写されている。
オフィシャルワークス』(朔間零、P135)でも、
「怪しげな設定に現実的な裏付けをつくって人間界に留める努力をしている」
という日日日先生のコメントがあったりもした。たとえば、零が学院のことなら何でも知っていると豪語するのは、人脈が広かったり、ガーデンテラスによくお散歩に行くという設定で説明ができる。

あんスタ世界で魔法みたいに見えることにはたぶんトリックがある。吸血鬼や怪物、神みたいにたとえられるのも、小説や宗教画、映画の中のCGのような『空想上の存在』を指すのではなくて、我々の生きる『この現実』に存在している、何かについて記述しているようだ。

『ダンスフロア』より


また、あんスタのストーリー内では以前から、実在の漫画や映画、特撮番組などの引用が見られる。
その狙いは、まるで現実世界の延長線上に夢ノ咲学院があって、近い次元にアイドルたちが本当に生きているかのように我々プレイヤーに錯覚させるため……だと思ってる。(勝手な憶測が加速してきたぞ……)

いや、彼らは実際、ほんとうに『生きている』と言っていい。
アプリや関連コンテンツが更新されることで、アイドルたちは新たな姿、新たな『ことば』を得て、喋り、歌い、踊る。「変化することが生きるということ」なら「変化していく概念は生きている」と言えないだろうか。

むしろ、声と姿と人格があるなら、もうそれはヒトと同じなのでは? もしくは神か?(?)
いや、そもそも神もアイドルも、『偶像』だ。一緒一緒。
あんスタのキャラはきっと、これまで人類に創られて受け継がれてきた神々よりもずっと速いペースで姿を増やし、数十万という大衆の目に触れて、心の中に居場所を作っている。
これからも末永く愛されて、どんどん新しい姿を見せてほしいね。



余談:「神」と「偶像」については、最近読んだ日日日先生の小説でけっこうメインテーマになっていていろいろ衝撃だったよ……。感想も書いたのですが、題材がちょっと全年齢向けではないので別サイトにupしてます。
大きいお友達は興味があったら読んでね。(こちら)←Privatterにログインすると表示されるはず


長くなってしまった。持論を長々と語るというこの行為、まるで英智くんみたいじゃないですか? (英智ファンに怒られたいの??)

『ノエル』イベントが終わるまでにイベスト感想をupするのが今の目標です。





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